学生馬術東西対抗競技会の歴史 (2020.12.13版)
関西学生馬術連盟は昭和21年(1946年)に発足したが、それ以前の関西地区の学生馬術連盟は京都学生乗馬連盟(京都大学、同志社大学、立命館大学)と関西学生乗馬連盟(大阪市立大学、関西大学、関西学院大学、神戸大学)の2つであった。そのため、第二次世界大戦前は1924年より関西学生対関東学生、京都学生対関東学生という対抗戦、1930年からは3団体が1ヶ所に集まっての三都対抗として各連盟代表選手による貸与馬競技が行われていた。(関東学生は正式には関東学生馬術協会である。)
第二次世界大戦後は連盟発足後の1947年より、当初は東西対抗、一度は三都対抗に戻るも1961年までは継続して行われた。その後、1979年に復活してからは、ほぼ継続して行われている。現在は6名(女子2名以上)での貸与馬障害飛越競技として、関西と関東が交互に担当して競技会を行っている。
競技成績は1979年以降についてのみ記載してある。1961年以前の調査はさすがに無理… 。
1924年〜1929年 関東対関西(計10回)、関東対京都(計8回)
1930年〜1942年 三都対抗(計11回+1回)(1940、1941年は不実施)
1947年〜1948年 東西対抗(計2回)
1949年〜1955年 三都対抗(10名戦による団体総合馬術競技)(計6回)
1956年〜1961年 東西対抗(計6回)
1979年〜 東西対抗(1〜8回?: 10名戦による団体馬場・障害競技)
(9回〜28回: 8名戦による団体障害飛越競技)
(30回: 5名戦による団体障害飛越競技)
(31回〜: 6名戦による団体障害飛越競技)
* 29回(2008年)は中止、41回(2020年)は新型コロナウィルスの影響で中止