関西学生馬術プリンセス大会の歴史

 

1996年(平成8年)に関西学生馬術連盟の理事会で実施が提案、決定され、1997年(平成9年)に第1回が行われた。関西学生馬術連盟所属大学の女子選手の試合機会増加、ならびに大学間の交流促進を目的とし、連盟主催の馬術大会として継続して実施されるようになった。

 

この競技会は、関西学生馬術王座決定戦とならび貸与馬団体戦として行われて、最高90cm程度の障害で実施された。この競技会の大きな特徴は、馬匹輸送に伴う経費負担をなくすため、選手のみが移動するホーム&アウェイ形式としていることであった。参加各大学では春先のシーズン開幕行事として定着しているようであった。

 

実は当初の企画では、多くの大学参加のもとでリーグ戦を展開できればよいのではないか、ということで『関西学生馬術プリンセスリーグ』という大会名の案があったが、とりあえずトーナメント形式で実施するということで、『関西学生馬術プリンセス大会』という名称となった。

 

2003年(平成15年)、安全面での不安や大学間の設備差の不満などから、当初の形式を保ちつつ競技会を続けられなくなり一度中止となったが、2004年(平成16年)に関西学生馬術王座決定戦との併催で復活することになった。復活以降は障害のレベルは大会規定通り高さ100cmで実施するようになった。ホーム&アウェイ形式は採用されなくなった。

 

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2007年(平成19年)、参加大学数が少数固定化されてきたため、関西学生馬術連盟の理事会で廃止が決定した。第9回で大会の歴史を閉じた。