関西学生馬術王座決定戦の歴史

 

1989年(平成元年)に関西学生馬術連盟の理事会で実施が提案、決定され、1990年(平成2年)に第1回が行われた。関西学生馬術連盟所属大学の選手の試合機会増加を目的とし、連盟主催の馬術大会として実施された。

 

関西学生馬術選手権大会、関西学生馬術女子選手権大会とともに貸与馬戦であるが、関西学生馬術王座決定戦は団体戦としてのみ行われている。当初は所属大学を3つのブロックに分け、各ブロックで予選を行い、ブロック1位の3大学による決勝リーグ戦で優勝大学を決定していた。第2回から第10回までは、地理的な都合で、京都、大阪、兵庫の地区別予選を実施していた。

 

2000 (平成12) の第11回より、地区予選の形式を止め、参加大学が一同に会して予選ブロック・決勝ブロックの形式で競技するようになった。競技場は3つの府県で持ち回ることにした。

 

2001 (平成13) の第12回より、完全半自馬制とした。

 

2005 (平成17) の第16回からは、関西学生馬術プリンセス大会と併催して、大阪乗馬協会をお借りして競技を行った。

 

********************************************************************************

 

2007年(平成19年)、参加大学数が少数固定化されてきたため、関西学生馬術連盟の理事会で廃止が決定した。17回で大会の歴史を閉じた。

 

なお1966年、1967年に行われた関西学生王座決定戦は、現在の関西学生馬場馬術大会、関西学生障害馬術大会の第2回までの呼称であり、この関西学生馬術王座決定戦とは異なる。