関西学生女子複合馬術大会の歴史 (2013.7.21)

 

1976(昭和51年)から2012年(平成24年)まで、関西学生馬術連盟所属の女子選手のみが参加できる競技会として開催された。馬場馬術と障害飛越の2種目による複合馬術競技大会で、関西学生の女子ナンバーワン選手を決める競技会でもあった。2013年(平成25年)に関西学生馬術連盟主催競技会が再検討され、行われなくなった。

 

********************************************************************************

 

1976年(昭和51年)から女子選手の競技機会増加を意図し、総合馬術大会に併催される形で競技会が始められた。1977年(昭和52年)の第2回大会から、各大学の上位2人馬の成績で団体表彰も行われるようになった。

 

その後、競技形式は大きく変わることなく開催されてきたが、2001年(平成13年)の第26回大会より、総合馬術大会との併催をやめて選手権大会と同時に行うようになった。この年より三木ホースランドパークで本格的な総合馬術競技が行われるようになり、馬匹の負担を低減する必要があったためである。ただし、2002年(平成14年)の第27回大会は選手権大会・女子選手権大会の日程変更があったため、関西学生オータムジャンプ2002と併催された。 

 

2003年(平成15年)の第28回大会から、レベルに見合ったエントリーを促す意味で、馬場と100cm障害で決する女子複合馬術競技A、馬場と80cm障害で決する女子複合馬術競技B2競技による競技会に変更した。団体表彰は女子複合馬術競技Aの上位2選手の成績を対象とした。

 

2007年(平成19年)の第32回大会から、女子複合馬術競技Aの障害を110cmに変更した。

 

 2013年(平成25年)の理事会で関西学生馬術連盟主催競技会を再検討し、本大会は行われなくなった。ただし、回次のみ2013年(平成25年)に開始された関西学生複合馬術大会に引き継がれている。