関西学生賞典障害馬術大会の歴史 (2022.3.1)

 

 

関西学生賞典障害馬術大会は関西学生馬術連盟における最高峰の障害競技、学生賞典障害飛越競技が行われる競技会である。また同時に、全日本学生馬術連盟主催の全日本学生賞典障害飛越競技大会における学生賞典障害飛越競技への関西地区予選大会でもある。

 

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 1966年(昭和41年)、1967年(昭和42年)は、関西学生王座決定戦という競技会名で実施された。全日本学生馬術王座決定戦の予選競技であったためである。(この第1回、第2回大会では、馬場と障害が分離されておらず、関西学生馬場馬術大会の前身の馬場競技も含まれていた。) 

 

1968年(昭和43年)の第3回大会で、関西学生障碍馬術大会と改称された。全日本学生障害飛越競技会の予選競技会として位置づけられ、標準中障碍飛越競技が行われた。また、この年より個人表彰の他に団体表彰も実施されるようになった。

 

1975年(昭和50年)の第10回大会から、現在と同様の2日間に分けて二回走行を行う形式となった。

 

1984年(昭和59年)の第19回大会から、予選競技を取り入れた。標準中障碍飛越競技に参加する人馬は、同年の全関西学生馬術大会の障碍飛越予選競技、もしくは関西学生障碍馬術大会の最初に行われる予選障碍飛越競技のどちらかに必ず出場し、それらの競技で完走した同一人馬に出場資格が与えられた。(全関西学生馬術大会の障碍飛越予選競技で権利を得た人馬が乗り替わる場合には、関西学生障碍馬術大会の予選障碍飛越競技で改めて権利取りをする必要があった。)後者は資格取りのために実施されたことから、表彰は行われなかった。

 

1991年(平成3年)の第26回大会から、標準中障碍飛越競技に失権した馬の再調整や関西学生総合馬術大会への調整ステップ、学生馬術東西対抗競技会に使用する馬の馴致等を目的とし、小障碍飛越競技が取り入れられた。この競技については指導者のオープン参加も認められた。

 

 

1997年(平成9年)の年初の理事会で、これまで関西学生で使用されてきた「障碍」という表現を一般に使用されている「障害」に置き換えることになった。これに伴い、第32回大会から競技会名が関西学生障害馬術大会、競技名も標準中障害飛越競技と変更された。小障害飛越競技(小障碍飛越競技から改称)は、エントリー数が少なかったことから、この年を最後に廃止された。

 

1998年(平成10年)には競技の見直しが行われ、この年の第33回大会では予選競技のシステムは廃止された。これにより、前日に時間的余裕ができたことから、フレンドシップ障害を行うようになった。フレンドシップ障害について、1998年は経路形式であったが、全日本学生賞典障害飛越競技大会のフレンドシップ障害が1998年より一定時間の自由走行形式に変更されたため、1999年(平成11年)の第34回大会より自由走行形式に変更した。(ちなみに全日本学生賞典障害飛越競技大会では、1994年よりフレンドシップ障害が実施されている。)

 

2001年(平成13年)の第36回大会では、1974年以来久しぶりに1日で二回走行を実施した。また、この年より学生の試験日程を配慮し、フレンドシップ障害は実施されなくなったが、2004年(平成16年)の第39回大会より75秒の自由走行形式で再開している。また、2011年(平成23年)の第46回大会は競技会日程の都合で1走行で行われた。

 

2013年(平成25年)の第48回大会から、全日本学生の競技会と揃えるべく、関西学生賞典障害馬術大会と大会名を変更し、競技名も学生賞典障害飛越競技と変更した。その第48回大会は猛暑のため2走行から1走行に変更して行われた。また、失権人馬のためにコンソレーション障害飛越競技が行われた。

 

2014年(平成26年)の第49回大会からは、猛暑を想定して1走行で行っている。

 

2020年(令和2年)の第55回大会は、新型コロナウィルスの影響で時期を9月後半の連休に変更して実施した。

 

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2021年(令和3年)現在、この競技会は、関西学生賞典馬場馬術大会、関西学生馬術選手権大会、関西学生馬術女子選手権大会と同時開催で、海の日を含む連休に三木ホースランドパークで行われている。